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■坂本提灯店(さかもとちょうちんてん)

明治元年創業の5代目

坂本提灯店は明治元年に創業し、現在私で5代目になります。私の祖父が現役時代には、このあたりに同業が3~4件はあったと思いますが、現在この近郊ではうち一軒になってしまいました。

坂本提灯店(明治元年創業)

当初、私はこの店を継ぐ気はなく、母からもサラリーマンになれといわれていました。「とにかく大学には行かないと」と思って東京の大学に入学したあと、取引先の提灯問屋さんでアルバイトに行くようになったのが、この仕事に進むきっかけになりました。
アルバイトとはいえ、江戸っ子の職人さんと仕事をするので、何かあると提灯が飛んでくるといった厳しいものでした。大学を卒業して地元の知り合いから紹介していただいた会社に入社し、サラリーマン生活も経験しましたが、その後跡を継ごうと決心しました。当初、昼は会社勤め、夜は提灯屋の仕事をするという二足のわらじを履いていましたが、二足のわらじはあまりにも大変で、結局会社勤めをやめて、提灯屋一本でやるようになって17~8年になります。

実は分業制の提灯業界

提灯は室町時代に竹かごに紙を貼っただけの折りたためない物が原型といわれ、室町末期には今の提灯と同じような折りたたみのできるものが登場しました。その後主に宗教的な祭礼や儀式で使われていたようですが、江戸時代に入って、ろうそくが普及したこともあり、提灯が照明器具として使われるようになったようです。
私達の作っている提灯の多くは「江戸提灯」といわれるもので、和紙を使って手描きで家紋や文字などを描いたものが一般的です。
明治時代になって、提灯は問屋制が発達し、といわれる、提灯本体を製造する業者の「貼り屋」と「貼り屋」が作った提灯に文字や家紋などを描いて仕上げをする業者の「提灯屋」に分かれて発展してきました。
当店でも提灯本体は問屋から仕入れ、文字や家紋などを手描きでいれ、防水のための亜麻仁油を塗って必要なパーツを取り付け、仕上げます。

提灯業界は分業制

文字も家紋も手描きで仕上げる

提灯に描かれる文字や家紋などの図柄は、最初は筆で輪郭を描き、その後にそれを塗りこむかたちで描きます。一般的に輪郭を描く作業は師匠が、それを塗りこむ作業は弟子が行います。私がアルバイトで入った修行時代は、師匠の描いた輪郭の中を塗りこむ作業ばかりをやっていました。跡を継いでからは、修行時代に師匠の仕事を見て学んだ事を思い出しながら輪郭を描く作業もできるようになりました。
描いている文字の基本形は、「江戸文字」と呼ばれる楷書を基本に一画一画が太く、遠くから見ても文字が認識できるような書体です。特に細かい決まりはないので、色々なものを見て新しい事も取り込むようにしています。
最近では手描きではなく、カッティングシートという塩ビフィルムを機械でカットして貼りこむものも増えていますが、いわゆる「フォント」なので、手書きに比べ味わいがない仕上りになってしまうため、基本は全て手描きで仕上げるようにしています。

文字も家紋も基本は全て手描き

祭の演出を支える提灯

提灯のご注文は、地元を中心とした北総地域や大栄町、匝瑳市、銚子、印西などから、県外は茨城の潮来や土浦からもいただいています。遠方からのご注文のほとんどは、今までやっていた提灯屋さんがなくなったからということで引合になりました。
昔は提灯の明かりにろうそくを使っていましたが、最近では電球を使ったものも増え、火がついて燃えてしまうことが少なくなってきました。全体的には需要は減っているようなので、多くのエリアをカバーしないと成り立たないというのも実情です。また、職人も高齢化が進み、後継者がいないなどの理由で廃業しているところも多くなっています。
仕事は主にお祭り関係で使われるものなので、時期的には5月から11月くらいまでがピークで、その時期の仕事場は提灯が山になってしまいます。
全国各地に古くから続くような祭はもちろんのこと、地域交流などの目的で祭の無い街で開かれるようになった祭でも、照明としての役割は無くなっても、提燈はその演出に欠かせないものだと思っています。無くてはならない提燈ですが、それを支えている提灯屋が減っているのは残念なことです。これからも色々なものを見て、積極的に新しいものも取り込みながら、日本の祭を演出する提灯づくりを、コツコツと続けて行きたいと考えています。

坂本提灯店

〒287-0003 千葉県香取市佐原イ517

TEL:0478-52-2796  FAX:0478-52-2896